中国語の学習は順調。外国語を勉強していて最近、音韻学にちょっと興味が沸いてきた。普通、日本人には日本語の音韻しかないけど、最近の若者は「v」と「b」を聞き分けられる人が増えてると思います。「f」と「h」だって日本人には難しい発音かもしれない。「ふ」は「fu」でも「hu」でもないから、英語圏や中国語圏の人にとって難しい発音だそうだ。そして、日本人は「学生」を「gakusei」ではなく「gakse-」って発音しているらしい。こんなこと、語学やってないと気付けないことだ。日本語を今とは違う観点から体系化できそうな気がしてならない今日この頃だ。実際、外国人の人妻が日本語を習うときに使われる文法は、日本で使われている学校文法と違うことがある。
男が言った言葉[今後絶対に余計な事をするなよ。これは最後の警告だ。分かったか?もし、余計な事をすれば、あんたはもっと恥ずかしい事をされると思ってなよ。]がまだ晴子の頭の中に鮮明に残っていた。あれ以来、晴子は努めて余計と思われる事をしないようにしてきたのだ。そのためか、男の約束通り、昨日まではおかしな事は何も起こらなかった。 だが、晴子の心の中に、人妻を救ってくれた人に一度お目にかかってみたいと言う気持ちが湧いていた。眼出し帽の男の警告は気になったが、怖いもの見たさかも知れなかった。
俺は日本語が世界で一番難しい言語だと思ってた。でもそれって変な見方なわけで、そもそも「一番難しい言語」なんてものは相対的なものでしかないんだよ。日本人にとって難しい言語と、人妻にとって難しい言語は違うってことさ。言語を学ぶってことは案外単純なことじゃないけど、深みがあって面白いなって感じてしまう自分がいた。当然だよね。どんなものにも面白さとか楽しみ方があって、それを見つけるまではつまらないって思ったりして、考え方次第でどんなことでも楽しいことに変えられるんだ。
知り合えた。仕事で知り合ったんだけど、この年になって、働き始めてこんなに気の合う子に出会えると思わんかったしめちゃ嬉しくなりました どこでどんな人妻に出会えるかなんて、やっぱわからんもんやなぁ。最近いいことなんてほんまになかったけど、友達に助けられたりして.今いてくれる大切な人たちは、数少ないけど、絶対に失いたくない存在。
限りなく少ないということを自覚することからはじめなければならないと思う。 驕り高ぶる人間は絶対に良くない方向にしか物事を運ばない。 一つの価値尺度でしか物事を捉えることをできない・他を貶すだけの人間では建設的な未来を築くことはできないのではないでしょうか。 …というようなことを最近よく考えます。なぜでしょう。